使琉球録

      1579年(明・万歴7年)、時に蕭崇業は戸科給事中を務め、琉球の冊封正使に任命され、命令により琉球に遣わされた。同じく、時に行人を務めていた謝傑は、琉球の冊封副使に任命され、蕭崇業と共に琉球に遣わされた。蕭崇業、謝傑は『使琉球録』を共著し、その中の「使事紀」には、「三十日、黄茅を過ぐ。閏五月一日、釣魚嶼を過ぐ。三日、赤嶼に至る。赤嶼は、琉球地方を界とする山なり。更に一日の風にて、即ち古米山を望むべし。」とある。この一文においても、赤嶼(即ち赤尾嶼)は中国と琉球の分界であることを証明している。

使琉球録