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釣魚島の主権が中国に属する歴史的根拠
1
中国が最も早く釣魚島を発見、命名且つ利用した
中国の古代住民は海洋経営と海上の漁業に従事してきた実践において、最も早く釣魚島を発見し、命名した。中国の古代文献には、釣魚島は釣魚嶼、釣魚台、釣魚山とも呼ばれている。現在見つかっている範囲で、最も早く釣魚島、赤尾嶼などの地名を記載した史籍は、1403年(明•永楽元年)に完成した『順風相送』である。これは、早くも14、15世紀に中国はすでに釣魚島を発見し、命名したことを示している。
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2
中国は釣魚島を長期に亘って管轄してきた
早くも明朝に、東南沿海で活動する倭寇を防ぐために、中国は釣魚島を防衛区域に組み入れていた。1561年(明•嘉靖40年)に、明朝の東南沿海駐屯軍最高司令官胡宗憲が監修し、鄭若曽が編纂した『籌海図編』には、釣魚島などの島嶼が「沿海山沙図」に明確に表示され、明朝の海防範囲に組み入れられている。1605年(明•万暦33年)徐必達らが作成した『乾坤一統海防全図』と1621年(明•天啓元年)茅元儀が作成した中国海防図『武備誌•海防二•福建沿海山沙図』も、釣魚島などの島嶼が中国の国境内に組み入れている。
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3
中国と外国の地図において釣魚島が中国に属すると示されている
1579年(明•万暦7年)明朝の冊封使蕭崇業が著した『使琉球録』の中の「琉球過海図」、1629年(明•崇禎2年)茅瑞徴が執筆した『皇明象胥録』、1767年(清•乾隆32年)作成の『坤輿全図』、1863年(清•同治2年)刊行の『皇朝中外一統輿図』など、いずれも釣魚島を中国版図の一部としている。
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